アースデイ東京「キャンドルナイト」

2015年4月21日 火曜日

先週末、アースデイ東京で、キャンドルナイトの運営をさせていただきました。


福岡県の星野村にある、「原爆の残り火」を東京に運び、その火を使ってキャンドルに火を灯しました。



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九州からやってきたその火は、70年前の8月6日から、ずっと灯り続けている火。



あの日、まっさらな焼け野原になった広島の街。


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今もし広島に原爆ドームがなかったとしたら、昔その街に原子爆弾が落ちた事など想像もつかないほど、当然の様にしっかりと復興をしています。


そんな焼け野原になった広島では当時、放射線の影響で、草木の一本も生えないだろうと人々は思っていました。



しかし、時間が経ち、その荒れた土地から新芽が出たとき、人々はそれをみて涙したと聞きました。



そういう事もあって、ドーム後方には、ほんの少しだけ新芽が出たドウダンツツジを置きました。



昨年の10月に、紅葉直前の状態で入手した、根のない状態の切り枝のドウダンツツジは、その後真っ赤に紅葉し、やがて葉が落ちました。



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葉が落ち、12月には枝だけになったドウダンツツジをみていると、まだ命があるのを感じ、ずっと水につけておきました。


冬を越えると緑のつぼみが付き、弱々しいものの、4月に入って、ほんの少し、5ミリにも満たない小さな黄緑色の葉が開きました。


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冬の間ずっと待ち続け、日々水を換え、春を迎えて5ヶ月ぶりに葉がついた時は、「きっと咲くんだ」と思い続けていたからこそ、それは嬉しかったです。



そんなドウダンツツジをドーム後方に置きました。




ドウダンツツジの左右には、大戦で激戦地の舞台となった「南国」の草花を生けていただきました。



ドームのセンターには、原爆の火を移した三つのカンテラ。


その火はアースデイの期間中、夜通し灯し続けました。


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ドームから吊り下げた無数のキャンドルや、下に置いたキャンドル。

これらに灯る、たくさんの人を殺戮した「原爆の火」。




僕たち人間は、火を使う事で進化を遂げる事ができました。


おいしい料理をする火も、暖をとるたき火の火も、戦地で家を焼き払う火も、全て同じ「火」です。


火は、私たちを生かしも殺しもします。



ライターで付ける火も、木が燃える火も、原爆の火も、もちろん物理学的には同じでしょう。

カンテラから原爆の火をキャンドルに移す時、同じ火である事はわかってはいるものの、なにか、むわっとするような、匂いのするような、圧力のようなものを感じました。


重みのある火でした。

きっと、その感覚は忘れません。






広島の平和記念公園には、圧倒的な数の千羽鶴があります。

年間捧げられる千羽鶴の量は10トンを超えるそうです。

何羽の鶴がいるのか、とても数えられる量ではありません。



そして、原爆が爆発した後、多くの人が「水」を求めたそうです。

全身に大やけどを負った人たちが水を飲むと、すぐ亡くなってしまったそうです。
極度のやけどや喉の乾きで、今にも死にそうな状態で水を飲んだ被災者は、ほっと安心し、緊張が解け、亡くなっていったのではないかと言われています。

しかし、水を飲ませたら死んでしまうという話が広まったために、最後まで水を飲めず苦しみながら亡くなった人も多かったそうです。




ドームの天井から、来場者の方に折っていただいたカラフルな「おり鶴」をたくさん吊りました。
そして、水を入れた6つの大きなガラスボウルも吊りさげました。




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二年前に、広島の原爆ドームの横の公園で、同じようなキャンドルドームを作らせていただきました。

http://g-becks.com/candle/post/blog/3348


原爆ドームと広島平和記念資料館は、できる事なら、全ての日本人にも、世界中の人にも一度でいいからじっくりとみていただきたい貴重な遺産です。




70年という年月は人類の歴史からみれば短い時間ですが、僕ら一人一人にとっては一生ともいえる時間です。


戦争体験者がもうすぐいなくなってしまう後何年かあとにも、伝えていかなければ行かない事が、私たち日本人にはあるのだと、改めて思うキャンドルナイトでした。





ライティング  OVERHEADS 助川貞義
生け花     小澤弘邦




ステージ周りには、松尾憙澄さんによる、約1000本のキャンドルを原爆の火を使い、来場者の皆様と一緒に灯しました。


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運営に関わっていただいた皆様、折鶴をおり、また祈りを捧げていただいたたくさんの方々、ありがとうございました。





戦争には負けたものの、戦争をしない国になる権利を勝ち取った「日本」。

そこに至までに、それには6年間で310万人の命が失われた事を、忘れない様に。


自分にとって、大切な、たったひとつの命が失われるだけで、どれだけの悲しみが生まれるのか。